2016年2月22日月曜日

放送法4条の法的規範化はどうでもよい

放送法第4条を倫理規定としてではなく法的規範として適用し、場合によっては電波の停波もありうる、という総務大臣の発言は報道の自由を害すると批判されている。しかし、私にはそれはどうでもいいように思われる。彼らテレビ局関係者には、報道の自由や言論の自由を守る気概がそもそも無いからである。初めから無いものを守ろうとしても無意味だ。

例えば、SMAP解散騒動におけるテレビ局の報道姿勢を思い起こしてみよう。どう考えても、メリー喜多川氏とジュリー景子氏は厳しく批判されるべきであった。事務所の稼ぎ頭であり国民的大スターであるSMAPを、事もあろうに事務所幹部が公のインタビューでこき下ろしたからだ。少なくとも、彼らに対する批判はテレビで取り上げるべき代表的な意見の一つであろう。しかし、両氏を批判するテレビ局はついに現れることがなかった。

あの時、テレビ局は試されていた。そして、言論の自由や報道の自由なんかより金(ジャニーズ事務所との契約)の方が重要だと、彼らは高らかに宣言したのである。彼らの胡散臭さはみんな薄々感じていたけれども、それが一切の言い訳が出来ない形で白日の下にさらされたのだ。歴史的な瞬間だった。

たかが芸能スキャンダルに関して大袈裟な、と思う人もいるだろう。たしかに客観的に見て、メリー喜多川氏等も含めて誰も違法行為をしてないという意味で、SMAP解散騒動はどうでもいいことだ。しかしこの程度の騒動でさえ、テレビ局はこのザマである。もっと深刻な事態に対して、彼らは報道の自由を真摯に行使できるのだろうか。

彼らが政府与党に付け入られるのも自業自得である。いっそテレビ局は放送法第4条を根拠に、件の二人に対して批判報道をするよう総務大臣に行政指導をしてもらった方がいいのではないか。